こんにちは、チャーリーです。
昨日の東京新聞朝刊を眺めていたら、「デモ」についての記事が目に入りました。
香港での「逃亡犯条例案」に反対する200万人デモの記事かと思い、読んでみたら違っていました。
東京都千代田区で6月16日に起きた「年金払え」を訴えた日本でのデモの記事でした。
老後資金に年金以外で2千万円が必要とした金融庁の報告書をめぐり、政府の説明や年金制度の改善を求めるデモが16日、東京都千代田区などで行われた。ツイッターの呼び掛けなどで約2千人(主催者発表)が集まり、参加者は「暮らせるだけの年金を払え」と怒りの声を上げた。
参加者は「老後を守れ」「2千万円はためられない」などと書いたプラカードを掲げた。2歳の息子と加わった自営業の男性(46)は「老後に備えようにも余裕はない。報告書を引っ込めて解決するのか」(中略)
決して茶化したりするつもりはありませんが、デモを起こすこの強力なエネルギーには圧倒されます。各々の生活設計における将来への不安が一挙に表面化したということだと思います。しかしながら、このデモ参加者のコメントが、あまりにも国に頼りすぎで自分はどうするのかという視点がないことが気になりました。いずれにしてもこの「2千万円騒動」を奇貨として、年金問題、ライフシフト問題、貯蓄と投資の違いなど、今まで考えようとしなかった課題を議論するキッカケになるならば意義あることと思います。本日ある書店に行ったら2000万円問題コーナーらしき場所がありました、本日偶然かもしれませんが自宅に証券会社の営業担当が提案書を持って来訪されました。
Bon Voyage !
こうした騒動時こそ、シーゲル博士の古典をあらためて読み返すことが必要と思います。
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